KAME LOG

想いのままに…

父、死す

ちょっとアニメチックなタイトルにしてみました(笑)

こんな風にしてないとまだ泣いてしまいそうなので、軽いタイトルで不謹慎だなんて言わないで下さいまし。

 

さて。

このブログでも父の容態について記事を上げているので、その後の経過を記してみます。

 

 

4/1(月)

川口の病院→千葉の療養型病院へ転院

この時は末梢点滴のみ。転院の手続き後、父の希望を聞き中心静脈点滴(IVH)にするかどうかを決める。IVHにする場合は、翌日行うとのこと。

その後は特に何の連絡もなく、コロナ感染予防の為、面会は週1回15分のみとの事で、10日に面会の予約を入れる。

 

 

4/10

娘の中学校の入学式だったが、父の面会の方へ行く。

とてもよく晴れた日で、外の桜の写真を撮って見せたり、娘の卒業式の写真を見せたり…。

IVHにして1週間。急激な高カロリー点滴は出来ない為、ゆっくりではあるものの普通の点滴よりは少しカロリーの高いものが鎖骨の辺りから入っていた。顔色は悪くない。食事を摂っていなかったので体力は無く目を閉じている時間が多い様子。時間が過ぎても看護師が来ない為、分からないフリをして20分くらい面会する(笑)

面会時間が終了し「来週また来るからね」と伝えて病室を出る。

いつもなら手を振ると振り返してくれるのに、この日は布団の中に手を入れたまま。

少し前まで窓を開けていたので寒かったのかな?それとももう手をふる元気もなくなってしまったのかな?

コレだけは少し引っかかっていた。

 

 

4/12(金)22:50頃

私は夜勤。その最中に父の入院している病院から電話があり、父の呼吸が止まっているとの報告あり。急いで他職員へ伝え、帰らせてもらう。

 

23:20頃

病室へ行くと、相変わらず口をとじれずに臥床している父と会う。

眠っているみたい。呼びかけたら起きそう。

 

 

23:30

Dr.が父の死亡確認を行う。

 

その後は父の友人経由で葬儀屋さんと連絡を取る。

 

 

4/13(土)1:30

葬儀屋さんの手配で車が到着し、父を東京まで連れて行ってくれる。葬儀は東京で行う。

 

父の葬儀は4/17(水)に東京で行う事になった。葬儀屋さんと前日まで色々と電話やメールで打ち合わせを行う。

娘は前日に私が迎えに行き、お泊まりしてから一緒に東京まで行く手筈。

 

 

4/16(火)

昼過ぎに娘を迎えに行く。久しぶりに一緒に過ごす。すごく楽しい。でもきっと一緒に暮らしていたら喧嘩ばかりになるかもしれない(笑)

 

 

4/17(水)

娘と一緒に車で東京まで。

東京に着くと、車のシートが赤く汚れている。娘の生理が来たらしく、お腹が痛いというので、葬儀場のお座敷で休ませてもらう。残念ながら私は生理痛になった事がなく薬を持っていなかったので、兵庫から来る姉に薬を買ってきてもらう。

 

12時〜葬儀

娘は出棺の時までお座敷で休ませて貰う。最後のお別れはちゃんと出来て良かった。(薬が効いた様)

 

13時〜火葬

15時前には全て終わり、お食事を出す予算はなかった為、皆さん帰宅される。私と娘は緊張の糸が切れたのか、「お腹空いたね」と言うことでファミレスでご飯を食べてから帰宅。

娘は一度私の家に来てもらい、父の遺骨と写真を置いてから送って行った。

 

納骨はちょうど49日にあたる5/30の予定。娘はまた前日に泊まってくれるらしい。

 

 

そんな怒涛の1週間が過ぎ、19日から仕事再開しました。

納骨が終わるまでは色んな所に連絡したり等忙しいけど、頑張って生きていこうと思います。